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現代中国美術雑感3
水間敏隆
先日、ロスアンゼルスから思わぬ来客があった。第一回安井賞受賞作家の田中岑氏のご長男で建築家の玄氏と美術関係のライターをされている奥様である。懐かしさもあって楽しく会話が弾んだが、ロスアンゼルス現代美術館で開催された「@Murakami展」の話になった。キュレーションや作品の善し悪しは兎も角、話題になったのは展覧会場に設けられたルイヴィトンショップのことである。サザビーズのWHITE GLOVEの紙面では、初日三日間の売上で一億円を超えたという。それに引き換え、我が国のコンテンポラリーアートの市場はまったく元気がない。村上隆展での売上は海外の話である。李禹煥が高額で落札したといっても海外のファンドが入ったまぐれ当たり的な要素が強く、同業者は売り逃げさえ考えている。どうも業界は安定していかない。ロスからのステキな来客と共に、日本の美術市場について深く考え込んでしまった。日本のアートディラーは、今、何をしなければならないのだろうか?北京との往復が続く中、自問自答が繰り返される・・・。
月刊中国NEWS2008年1月号に、「西洋式の大攻勢!―中国の芸術博覧会は西洋vs中国の綱引き状態?」という特集が掲載された。昨年9月19日から開催された「Art Beijing『芸術北京』」と、その半月前に開催されたバーゼル形式の「ShContemporary『上海当代』」を比較しながら、中国現代美術市場の現状と未来を占う中国側からのレポートである。 芸術北京の運営責任者は董夢陽氏である。1993年に広州で開催された第一回中国芸術博覧会を手がけ、2004年、初めての画廊参加方式による第一回中国国際画廊博覧会(CIGE)を企画した。この年、当社は上海美術館館長の方増先氏と共に上海で国際展を主催、北京にも立寄ることになった私はいくつかの草創期のアートショーを見ることになった。雑多で何でもありのアートショーだったが上昇する迫力には驚かされたものである。その後、CIGEを仲間の王一涵氏に任せ、芸術北京を立ち上げた。その後アートショーは戦国時代に突入、画廊やオークション市場の活況と共に急成長を遂げることになる。そういう意味で、このArt Beijing「芸術北京」は、試行錯誤を繰り返して実現した生粋の中国側によるアートショーとえる。 上海当代の仕掛人は、アートバーゼルのディレクター、ロレンツォ・ルドルフとスイス・ジュネーブのギャラリーArt & Publicオーナーのピエール・フベールの両氏。中国では外国人の主催は不可能なので形としては上海芸術博覧会を引き継いだものだが、オーガナイザーがイタリアのボローニャ・フィエレ社であるから、まったくのヨーロピアン形式のアートショーである。月刊中国NEWSが「パラシュート部隊」と表現する所以である。 この対象的なアートショーの結果を踏まえながら月刊中国NEWSはこう結んでいる。「アジアにポジションを置くか『将来性』に富んだ国際化を選ぶかは、ジレンマだ。中国の芸術博覧会は、軌道に乗ってやっと4、5年。海外の数十年に及ぶ経験に比べれば、試行錯誤や修正の余地も多い。しかし、中国に残された考慮や実験の時間はもう、長くはないのだ。」と。 さて、この中国によるアートショー、Art Beijing「芸術北京」に当画廊は参加した。当画廊のコンセプトが新鮮だったようで、会期中に三社のプレスから取材を受けた。その中で最も関心を持ってくれたのはアメリカの経済関係の放送局であった。アジア支局長の彼女は、日本のギャラリーが韓国の作家を北京で発表したことにいたく関心を持ってくれた。そして数日後、偶然にもその彼女に再び出会うことになった。朴栖甫(パク・ソボ)氏の個展が酒廠芸術園のARARIO北京で開催され、そのオープニングパーティーでのことである。私はレコーダーを向けられるまま、二つのことを語らせていただいた。 第一に、「国が芸術活動を支援していることはうらやましい。日本でも早くそうなって欲しい。北京にある数々の芸術区然りである。」と。すると、どうだろう、「国の支援というよりは、むしろ民間の力で芸術が復興しているのでは?」と首を傾げたのだ。確かに民間資本や海外のギャラリーの力は大きい。しかし中国では国家の許可が無ければ何事も動かない。自国の芸術を育てる為に相当に大きな枠組みで国家戦略が練られていなければこのようなことは起きないのだ。海外組のギャラリーとアーティスト達がこの美術ブームを巻き起こしたと自負するのは勝手だが、その裏を知らなければ足もとをすくわれることになりかねない。大山子芸術区二倍化計画や昨年立ち上がった上海周荘芸術区計画を見ても一目瞭然である。お隣の韓国に於いても建築費の約1パーセントを芸術作品の購入に充てる法律がある。このような深謀遠慮が日本には無い。化石になった文化庁海外派遣制度のような支援ではなく、アーティスト側に立った援助を真剣に考えなければなければならない時に来ている。 第二に、北京がアジアの美術市場の中心になりつつあること、そして宋庄画家村の動向を見ても、アメリカンコンテンポラリーアートを追っかけて来た中国現代美術が、自国の文化に目覚め、独自の展開を開始していることを述べさせていただいた。 そこまで語って、私は口を濁した。このままで本当に良いのだろうか。中国は圧倒的な人口を誇り、今や経済力も世界有数である。外貨保有高においても他国を圧倒している。当然富も中国に集まりはじめるだろう。美術市場も然りである。この流れは止められない。 その激流の中で日本はどうすれば良いのだろう。日本の美術市場はそのまま廃れてしまうのだろうか。もし、日本がアジア全体の利権を代表するような立場に立てたとしたらどうだろうか。印象派やエコールドパリの作家達が世界各地からパリに集まりベルエポックを謳歌したようにはなれないのだろうか。でなければ、イギリスのように、美術品の流通に於ける欠かせないポジションを確保することは難しいのだろうか。ロンドンに本社を持つサザビーズやクリスティーズにはなれないのだろうか・・・。そう思った瞬間、私は、日本の生き残りの道を自らに言い聞かせるように語りはじめていた。 (GALLERY-BSディレクター、美術の窓「視点」2008年2月号記事)
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