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現代中国美術雑感2
水間敏隆
今年11月8日、私はオリンピックの準備に沸き立つ北京首都空港に降り立った。第三回宋庄文化芸術祭に参加するためである。空港出入り口のすべての自動ドアは「安利」の広告が占領していた。安利とはアメリカを代表する企業であるアムウェイの中国名である。アメリカ企業の広告が国の表玄関を埋め尽くすことなど以前にはまったく考えられなかったことだ。少しの間に本当に中国は大きな変化を遂げた。
かつて当社は上海国際芸術祭の政府公認イベントとして、16カ国が参加したアートフェスティバルを主催した。2004年のことだ。当社が中国現代美術市場に本格的に参入したのは2000年、上海美術家協会との提携が最初だった。10年間で中国現代美術市場は大きく変化した。上海の莫干山路50号や北京の圓明園界隈で前衛芸術家がゲリラ的な活動をしていた時代は過去の話となった。ヌードや政治批判が厳禁されていた時代がウソのようである。今や中国政府の後押しの中で、開かれた中国の見本かのように現代美術家が街中を闊歩している。 そして第三回宋庄文化芸術祭。2007年11月8日〜13日まで開催されたそれは、まずその規模の大きさとパワーに圧倒される。会場となった宋庄画家村は2000名のアーティストが住み、しかも個々のアトリエの広さは小学校の体育館ほどを有しているものも少なくない。宋庄美術館、MOCA、上上美術館などの大きな美術館だけでも五カ所、各ギャラリーだってブリジストン美術館より大きなものがいくつもある。当然歩いて廻ることは不可能で、それぞれで厚さ3cm〜4cmのカタログを作成しているからすぐに重くて持てなくなる。 なかでも特筆すべきものは、宋庄当代芸術家大展だ。広大な工場の資材置き場で開催される野外美術展で、床は当然のごとく土であり、一応歩きやすいようにコースには煉瓦を敷いてはいるが、日本ではまったくありえない光景だ。無名有名が一緒くたになって、あらゆる分野の作品が延々と展示される会場は終わりが無いように感じられる程である。雨が降ったらどうなるのだろうか?と考えるのは日本人ぐらいなのだろうか。あまりにも大陸的な展示風景なのだ。 つぎに目を引くのは、和静園現代美術館のオープン記念展として開催された「十年一覺1997-2007」展だ。宋庄出身の55人のアーティストの今と10年前の作品を比較展示した構成になっている。ユー・ミンジュン、ジャン・シャオカンなどの有名所も並び錚々たるものである。まさしくこの宋庄が北京の現代美術を支えて来た様が手に取るように解る。そして、この十年間がいかに激動の時代であったかも知ることが出来るようになっていた。 この他にも虹湾国際芸術中心で開催された無主題絵画聡展や、北京東区芸術中心で開催された墨縁・宋庄水墨同盟第二回招待展などお伝えしたい美術展は山ほどもあるのだがそれを書いていくと紙面が尽きてしまうので別の機会としよう。ただ、ここで付け加えておきたいのは、ポップアートの延長のような所謂欧米のコレクターに受けのいい作品中心から、確実に中国の風土から醸成された中国人でなければ完成し得ないアートがしっかりと萌芽しはじめているという事実であろう。 また、このフェスティバルに合わせてFRONT ARTでは、宋庄のアーティストの今を赤裸々に綴った雑誌が出版されたが、その中には1990年から93年までの宋庄画家村の前身としての圓明園画家村の写真集が掲載されていて大変興味深い構成となっていた。 さて、この宋庄文化芸術祭はまだ三回目、しかもビエンナーレのように二年に一回の開催ではなく、毎年の開催となっているからさらに驚くのである。文化芸術祭の総経理である李学来氏にもお会いしたが、自信たっぷりに、来年の規模はさらに大きくなると明言してくれた。初回より二回目、そして三回目の今年は飛躍的に発展したという。この原動力はいったいどこから来るのだろうか。 首都空港をはじめ至る所に西洋化の波が押し寄せている中国。表面的には美術に於いても欧米型のアートショーが席巻しようとしているように見える。しかし、それとはまったく違う、中国の根底からの大きな渦が、今巻き起ころうとしている。その端的な証しが宋庄画家村での事実なのだ。次回はもう少しその渦にスポットを当ててみたいと思うのだ如何であろうか。 (GALLERY-BSディレクター、美術の窓「視点」2008年1月号記事)
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