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中国現代美術雑感1
水間敏隆
今、宋庄が熱い。北京の中心部から一時間ほどの郊外、そこに宋庄画家村がある。ものの本などには、数年前からアーティストたちが集まり始めた、などと記載されているが、そんなことはない。ここは圓明園付近で活動していたアーティスト達が最初に移り住んだのが始まりで、ここに画家村が成立してから既に十数年の歳月が流れる。大自然に包まれた環境と北京からそれほど離れていない立地条件がアーティストを集めていったのだ。日本で789として知られる大山子芸術区は2002年、ARARIOなどの韓国系の画廊が中心となって始まった酒廠芸術園に於いては2005年が始まりだから、宋庄画家村の歴史は郡を抜いているのがわかるだろう。
さらに2005年からは宋庄文化芸術祭が出発、今年は第三回目になり11月8日から開催された。現在の入村数は拡張を続ける関係で定かではないが、1500人を越えて2000人に近づいているという。そこに、美術館や画廊がすさまじい勢いで集まりはじめ、まさに建築ラッシュなのだ。本年9月、私は北京のアートショーに参加したが、出品作家の1/3が宋庄の作家であり、中国の画廊においてのその割合は、実に1/2がそうなのだ。なぜ、この宋庄画家村がここまで熱いのだろうか。それには中国現代美術の歴史を少々垣間みる必要がある。 5000年の歴史を誇る文化の国であった中国は、共産革命による社会的リアリズムの名の下に、一挙に伝統文化が荒廃した。そして、文化大革命ではドドメを刺されたといえる程の打撃を受けた。例えば、呉昌碩や斉白石らの文人画の命脈はこの時に完全に途絶えたといえる。 アーティスト達は、革命以外の制作活動を禁じられ、僻地での農業に従事させられた。力ある芸術家は活動の拠点を海外とし、若い芸術家達は、梁山泊の如き活動を余儀なくされた。それが上海の莫干山路50号である。市場原理導入によって淘汰された工場は廃墟となったが、そこに食うや食わずの貧しい作家達が集まったのだ。文化大革命と天安門事件での挫折。超えられない壁に対する無限の恐怖が、中央や金持ちに対する過激な態度であった。90年代の中国現代美術が、自虐性やグロテスクな表現に満ちていたのは、その虐げられてきた歴史にあるのだ。 中国の現代美術は中央から離れた上海や杭州から始まった。しかし、北京はなんといっても政治の中心である。コンセプチャルな現代美術の政治的な方向性は北京のアーティストを大いに刺激し開放政策と相まって画家村が自然発生してくることになる。これが宋庄画家村なのだ。大山子芸術区や酒廠芸術園は上海の莫干山路50号の影響を受けて人工的に作られた芸術区である。それに対して、アーティストの自主的な渇望によって出来上がった宋庄画家村は、時代と感性がそのまま反映される町なのだ。 日本とは違い、伝統文化が完全に一度は切れてしまった国が中国。西側との対峙を続ける中で独自の発展を遂げようとしたが、共産主義の崩壊とともにそれも挫折した。開放政策と資本の導入によって一気に富裕層が増え、アメリカンコンテンポラリーアートに反発しながらも憧れ、現代美術の根底にあるサブカルチャーやカウンターカルチャーに自らの存在価値を見出すしかなかった中国現代アート。中国の富裕層はすさまじい勢いで自国の現代アートを買い続けてきた。そして、市場は加熱していった。今や、世界中の現代アートの価格の中で中国現代美術が最も高額になってしまった。 北京オリンピックが来年開催される。そして次に待っているのは上海万博である。富裕層は今の市場のあり方に疑問を持ち始めている。そして若いアーティストは、政治批判だけの作品や自虐的な作風から開放されつつある。情報が開示され生活が豊かになってくる過程に於いて、確実に制作の動機が変化を見せ始めた。高次元の芸術として内からの衝動が押し寄せてきたのだ。それが宋庄画家村で起きてきる。アーティスト達と交流するとそれが手に取るようにわかるのだ。今日、私は第三回宋庄芸術祭に参加するために日本を発つ。そう、美術の未来は明るい。 (美術の窓2007年12月号「視点」掲載、GALLERY-BSディレクター)
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