SINCE 1984
豊かに解き放たれた位相絵画
水間敏隆

 昨年、15年振りに位相絵画の制作を再開した関根伸夫が、さらにヴァリエーションを豊かにして新作個展を開催する。位相絵画とは、五枚重ねの鳥の子紙を水分で柔軟にして様々に加工、乾いた後に表面を金箔などの皮膜で覆ったものだ。環境美術家として彫刻家として公園やモニュメントを作りつづけていた関根が、1987年からのわずか数年、取り憑かれたように作りつづけた伝説の作品群。この作品が、15年の時を経て色鮮やかにギャラリーに出現する。

 位相の名称は、メビウスの輪に代表される位相幾何学の空間理論に由来する。丸い球体も凹んだコップも、連続面で自由に変形が可能ならば形態を変えても位相幾何学的には本質は変化しない。これが位相変換である。
 「<創造(つくる)>ことはできない。できうることはものの表面に付着するホコリをはらい除けて、それとその含まれる世界を顕わにすることだ。」と関根は語る。芸術家が<創造する>といっても、所詮、宇宙の創造に比べれば些細なものであり、芸術家の存在意義をそこに問うならば、宇宙そのものの在処をいかに鮮やかに見せるかであり、即ち<ホコリをはらい除ける>ことなのだ、というのだ。
 1968年、関根は、この<位相>のコンセプトをひっさげて美術史に残るあの<位相大地>を世に問うた。この巨大な土のモニュメントは日本の美術界を大いに引っ掻き回し、ベネチアビエンナーレの巨石が天空に舞うモニュメント<空相>へと発展していく。しかし、海外で成功し、ヨーロッパ各地での招請個展から凱旋したにもかかわらず、1973年、関根は、突然と現代美術家から<環境美術家>に転身する。刹那的なインスタレーションにみる前衛芸術の在り方に疑問を感じた関根は、自らの芸術が後衛芸術といわれるならそれも止む無し、と言い切り、環境美術を強力に押し進めていくのである。
 環境デザイナーとなった関根は、株式会社環境美術研究所の代表取締役として活躍、建築家、プランナー、造園家など束ねながら環境そのものに対峙していくことになる。<地球にしっかりと杭を打ち込んでいきたい>と完成させた仕事は400を越え、正しく<現代の遺跡>として際立つ存在となった。

 関根伸夫はすこぶる感性の研ぎすまされた人である。自らの本心に正直なのである。コンセプトをひねくり回して出来上がった<位相大地>だったが、出来上がった作品を前にしてコンセプトなど吹き飛んでしまった。巨大な土の固まりが圧倒的な迫力で押し寄せ、制作者達は一様に大地の洗礼を受けたのだ。後に語り種となる<もの派>の誕生である。関根はこの後、多々の論客を引き込んで<もの派>を形成するが、この大地の洗礼を受けた者とそうでない者とは明らかに違う道のりを今後歩んでいくことになる。
 この時すでに、環境美術家としての関根伸夫の運命は決定づけられていたのかもしれない。斉藤義重と老子論に花を咲かせ京都や奈良の神社仏閣に通い詰めた関根は、芸術の本来あるべき姿を常に求め、自らの内奥の声に静かに耳を傾けてきた。イタリアでは人々の心の糧は町内ひろばの彫刻であり、その温かい芸術の在り方を知って本心が疼いたのだ。そうして関根は環境美術家になり、日本に環境美術を根付かせた。

 しかし、関根伸夫は元来画家であった。生涯絵を描きつづけたいと多摩美術大学絵画科に進学、大学でも絵ばかり描いていたのだ。ところが運命は妙ないたずらをする。第八回毎日現代美術展に半立体の作品を平面部門に出品したが、受付係が間違えて立体彫刻部門にならべ、そして受賞してしまった。これで世間は関根を彫刻家だと思い込み、第一回神戸須磨離宮現代日本野外彫刻展に招待出品となって、そこであの<位相大地>が出現することになるのだ。
 だから、関根伸夫は絵を描きつづけ、ものを手で創るのが天職なのである。危機に瀕する地球を前に使命感に満たされ環境美術研究所は出来上がった。だが、関根の芸術家としての衝動はそれだけでは収まらない。創りたくてしかたがないのだ。これがコンセプトだけを追いかける現代美術家と決定的に違うところなのである。そうして<位相絵画>は必然として生まれ、取り憑かれたように数年間創りつづけられた。しかし当時は環境美術研究所の代表に忙殺され、一人のアーティストとしての没頭はすこぶる難しかったのだ。

 それだけに、一昨年、環境美術研究所を縮小することになった時、密かに喜んだのはむしろ芸術家関根伸夫であったかもしれない。絵ばかり描いていたい・・・。その願望がいよいよ達成できるのだから。
 湧き上がる衝動の中で噴出する新作。醸し出される光はなんとも心地良く色彩はあまりにも美しい。そこには<位相>というコンセプトを超えた何かが既にある。  <位相絵画>を初めて創り始めた時、いろいろな実験をしたという。金属そのものを素材にしたり、金の塗料を塗ってみたりと大変だったらしい。それは自由に加工できて、尚かつ<位相>を表現できるようにと<皮膜>を追求した道程だった。最初は金箔のみ、その後、黒箔、鉛箔と手を広げた。ここまでは金属面の延長であり<皮膜>の延長である。

 しかし、15年の歳月を経て、昨年は色箔が華やかに登場した。ここで何かが弾けた。今回の個展では<岩彩>が塗られている。明らかに<コンセプト>を越える<何か>が渦巻いているのだ。そもそも箔の原理は反射であって色の表現ではない。だから<位相絵画>のコンセプトには合致した。しかし岩絵の具は自らが色であるから存在の意義そのもの違うのだ。<箔>は何かを映すことが必須なのである。今、関根は映し出すべきものを明確に捉え、コンセプトを超えたところに存在する体感の美術に触れようとしている。東洋人が身体ごと感じてきた快感。大宇宙と一つになった究極の喜びである。歴史が屏風絵の中で熟成した金箔と岩彩との調和の美。それが四百の環境美術プロジェクトで研ぎすまされた感性とようやく融合されようとしているのだ。人類が本性に立ち返ろうとする現代、期待してあまりある関根芸術ではないだろうか。

(GALLERY-BSディレクター)
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