異彩の光景
真夏の八月。人は灼熱の中で朦朧とする。顕在意識で自身を制御できなくなった時、原初の叫びが解き放たれる。それは祭りとなって恍惚の異空間へといざなう。虚飾をかなぐり捨てて美を恋う時、宇宙の一部としての自らに沁み入る光景がある。夏こそ裸が見えてくる。夏こそ芸術が見えてくるのだ。
異彩の光景と題してこの夏に二回の企画が開催される。常人と異なった彩りを持つ秀でた作家を日の当たるままに鑑ていこうという企画である。ここで取り上げる作家は、公募展の入選を積み上げてゆく美術界とは無縁の作家である。そしてアートディーラー達とも距離を置いていたアーティストである。「美術人はこうあるべき」という枠を作り、レッテルを作り出したい人々からは胡散(うさん)くさいと思われてきたかもしれない。胡散くさいの語源は、「胡散」に接尾語をつけて「怪しい様子」という形容詞にした江戸時代の和製漢語である。「胡散」とは架空の香辛料で、中世ペルシャで流行してトランス状態を作り出すために使用中止になったいう設定になっている謎の香辛料のことだ。だとすれば、ここで取り上げる作家達は「胡散」そのものと言ってよい。彼らの作品に触れた人々の、なんと恍惚たる光景か・・・。そう、芸術こそ胡散そのものなのだ。
常世山水
鳥居礼は「ホツマツタヱ」の研究者として知られている。このホツマツタヱなる書物は所謂古史古伝の一書として知られている。文献史学では制作年代を意図的に偽ったものを偽書というが、この書も文献史学界では偽書である。しかし偽書=偽物(にせもの)というわけではない。古代からの伝承を含んだ書物として研究対象足り得る文献でもある。成立年代の真偽はともかくとして、すべてが格調高い歌で構成された典雅な書物であり、一万行におよぶ一大叙情詩でもある。文学性豊かな作家が言霊に感化を受けて心酔していったのも頷ける。
しかしながら、鳥居礼は文学者というより根っからの画家である。美大で最先端の美術を探求したが、物理的な価値観に満足し得ず、日本画に転向したアーティストである。以降、文化の融合を唱えて現代美術家となった。その探求の過程の中で必然的に出会った書物がホツマツタヱだったわけである。そうして彼の芸術は確実に変化を遂げて虹彩を放つようになった。
書物の探求を通して日本文化の根底に触れた彼は、平和を愛した古代の文化に触れて衝撃を受ける。それは、飛鳥奈良時代の中国風文化ではなく、弥生でもなく、縄文文化に凝縮されるのだという。螺旋が渦巻く迫力と宇宙と自然との共存の中に彼は未来を探し始めたのだ。
今回のテーマは「常世山水-Walking in Paradise」。土着的な太い線が実に気持ちがよい。画面と対峙して自然に滲むこの微笑みはいったいなんだろうか。たおやかでかわいらしい美しさは、時に力の文化を包んでいくのだ。彼の作品はホツマツタヱの解説ではない。描き続ける境地によってのみ到達できる深みを探し続けているのである。そして、その先にあるのが「宇宙の愛」の体現なのだ。
真夏の「異彩の光景」。是非とも多くの美術ファンに浸っていただきたい光景である。